ミソジになったので、

淑女を目指して三千里。

ミソジになったので、初恋の死を反芻してみた

こんばんは。ミルコです。

 

30年以上も地上で人間やってれば、触れれば痛む傷跡の1つや2つはあるもの。

思い出したくないからと鍵をかけて閉まっている人もいれば、積極的に人生の糧にしている人もいることでしょう。

 

今回は、私が人間初心者だったころ体験した、痛烈な初恋の記憶を掘り返してみる。 

 

 

1.小学校生活は通過儀礼が多すぎた

私は、家族から注がれる無償の愛に満たされた無敵の子供だった。少なくとも、小学校に入学するまでは、他人の悪意にさらされることもなく、平穏に生きていた。どちらかといえば優秀で、どちらかといえば恵まれていた。

 

「小学校とは人生最初の関門である」と言ったら、多くの人は頷いてくれるんじゃないかしら。だって小学生は、大人が思っているよりずっと複雑で大変なのだ。しかも、曖昧に微笑んで無視し合うような高等技術を持っているヤツなんて殆どいない。みんな全力でぶつかりあって、結果として弱い奴が淘汰される。大人がどんなに掬い上げようとしたって、弱肉強食の理そのものから離脱できる子供なんていないのだ。

 

私にとってもそれは同じことだった。むしろ、今までぬくぬくとした優しい世界で生きてきたから分、突然の弱肉強食世界に対応できなかった。

 

小学1年生のとき、私は天敵とも言える女の子に出会った。同じクラスの彼女は事あるごとに私につっかかり、負けん気の強い私もそれに応戦した。もちろん、リトルレディたる私は、口汚く罵ったり、引っ掻いたり、殴ったりもしなかった。今思えば、ぬるい内戦だ。

 

しかし、とある事件で事態は一変する。クラスで一番可愛い男の子に、私は恋をしたのだ。・・・というより、クラスの女の子全てが彼に恋していた。彼女だって例に漏れずだ。しかし、彼女はほかの誰とも違った。彼女は陰湿かつ効果的な恋の作法を、小学1年生の教室に持ち込んだのだ。彼が褒める子をさり気なく自分の引き立て役にしたり、彼が疎む子を一緒になって遠ざけたり、外堀を埋めてかかったり。とにかく彼女は静かに積極的だった。

 

とはいえ、小学1年生のやることである。大したことはできないし、そもそも6、7歳の男の子が真剣に恋愛を考える確率だって微々たるものである。

 

そうやって半年が過ぎたころ、努力が報われない(少女漫画的超展開に至らない)ことに焦れた彼女が起こしたのが「ラブレター音読事件」である。

 

2.ラブレター音読事件 

 事の発端は、私の机から「ラブレター」が盗まれたことだった。

当時の私は密やかに恋を楽しんでいた。彼への気持ちを、大変ドリーミーな言葉で手紙にしたりもしていた。渡すつもりなどさらさらなかった密書には、当然ながら宛名も差出人もない。ただただ、恋をしている少女の心情が綴られているのみである。

 

それが、盗まれたのである。

 

今なら、学校の机に無防備に置いておくほうがどうかしていると思えるが、悪意など存在しない世界の住人だった私は、密書を机に入れたままにしていた。きっと恋の「現場」に置いておきたかったのだろう。シチュエーションは萌えの燃料である。

 

密書が消えたのに気がついたのは、帰りの会の前のことだった。いつも机の一番奥に入れていた薄い水色の封筒がない。ただそれだけのことに、血の気が引く思いがした。私は静かに、注意深く周囲を見渡した。落し物として届けられているのではないか?掃除の時に捨てられてしまったのではないか?と、不安な気持ちを押し殺して教室の中を探し回った。

 

探し始めてから5分。私の密書が発見された。

意中の彼の机の中からだった。

 

その水色の封筒はみるみる内に開封され、ドリーミーな激甘ポエムが白日のもとにさらされた。朗々と音読したのは、彼の一番近くに陣取っていた彼女である。あのときの彼女の顔は、とてもとても楽しそうだった。

私はきっと、顔を白くしてその様子を見ていた。自分の中から飛び出した恋心が、水槽の外に飛び出してしまった金魚のように喘ぎながら死んでゆく。

恋心を手紙に書いたのが間違いだったのだと、強く強く自分を責めた。

 

全てを読み終わったあと、彼女はチェシャ猫のように笑って「ね、ミルコちゃん。素敵なラブレターだね?」と私に話かけた。その時になってはじめて、私は全ての原因がなんなのかを知った。そして、返事もできず彼女の手にある手紙を奪い取り、教室のゴミ箱に投げ込んだ。

完全なる失策である。

宛名も名前もない密書が、私が彼へ向けたラブレターとして公然のものとなり、そして、彼女の悪意を鮮烈に暴いたのである。

 

3.小学生の人生密度は失敗をうやむやにする 

結論として、彼女は性格の悪さを暴かれ(自爆したといっても過言ではない)、私はイタイポエマーであることが知れ渡った。プライドの高いリトルレディにあるまじき失態だったが、起こってしまったものは仕方ない。彼女への復讐すら忘れ、教室でビクビク小さくなって過ごした。

好きだった彼のことは、視界に収めることすらできなくなった。

だって、見つめていたら「おい、ミルコが見てるぜ!」みたいな空気になって、絶対に死にたくなる。大切にしていた気持ちが踏みにじられた挙句、治りかけの傷を毎日イジられるくらいなら、いっそ全てをなかったことにしたかった。

 

そうやって耐え忍ぶ日々を過ごしていたころ、急に彼女が転校することになった。

 

キラキラと希望に満ちた若い担任は、キレイな思い出として残るような彼女の花道を作りたがったが、クラスの反応は白けたものだった。「へー、転校。ふーん、そうなんだ」くらいのものである。

もちろん、小学校1年生にとって「転校」が想像しにくいものであったのも原因だ。明日からは会えなくなると言われたって、その重大さを認識できているとは言い難い。

 

だが、大人である担任は違う。転校する前の思い出がいつか「宝物」になると信じているのだ。担任はとにかくクラスの雰囲気をまとめ、そこそこにやる気のある「お別れ会」して、ハッピーエンドに持ち込みたかった。

だから、大衆の面前で秘密を暴かれ恋心を滅殺された私に対して、「彼女と仲直りをして、率先してお別れ会を進行してね」と要請した。群れ生活初心者(7歳)たる私にとって、担任の言葉は従うべき統率者の命令である。

屈辱と怒りと憎悪を押し殺して、私は彼女のためのお別れ会作りに邁進した。例のラブレター事件の仲直りも、した。もちろんパフォーマンスだったが。

 

そうして彼女は無事、「みんなと離れるのが寂しい」とかなんとか言ってべそべそ泣きながら転校していった。「親の転勤に振り回され、大好きな友達と引き離される可哀想な少女」役は、さぞかし楽しかったことだろう。手紙や寄せ書きを手に、引っ掻き回した場を華麗に退場した彼女を見送って、残された私は、私たちの日常に戻った。何事もなく、彼女のことなど思い出さない日々。

 

そして私たちは同じように、「ラブレター音読事件」も忘れた。

しかし、無かったことにはならない。

20年以上の時が過ぎた今でも、私の心には触れると痛む傷がある。