ミソジになったので、人生を振り返ることにした(こども時代)
こんばんは。ミルコです。
あなたは、自分の人生を夢で見たとしたら、それが本当に夢だったと確信できる?
私が昨日見た夢は、まさしく「私の」夢だった。
人生をダイジェスト版で追体験しながら、過去の私を見つめるような多重視点の夢。
結末を知っているのに何もできないもどかしさと、今だから分かる私以外の気持ち。そして、今だからこそ分からない当時の私の気持ち。
そういうものを綯交ぜにして、混乱した朝を迎えた。
目が覚めて、少しだけ泣いた。
今朝から続く混乱を収束させるため、ここで一度人生を振り返って見ることにした。
1.愛され慣れた子供は「媚び方」を知らない
夢の始まりは、弟が生まれた年だった。
舞台は富士山の麓にある母の実家で、登場するのは当時の知り合い(家族も含む)総勢30名ほどだ。
妊婦だった母が退院した日のことを覚えている。晴れていて、私は「お姉ちゃん」になることを誇らしく思っていた。夢の中でも、赤ちゃんを抱いて帰ってきた母を、得意満面の笑顔で迎えた。
そして、2歳の私は溢れるほどに注がれていた愛情を半分以上失った。体感としては、0になった。これは予想外と言わざるを得ない。
私だって小さくてふやふやな弟のことは可愛かった。お姉ちゃんとして、小さな弟を守ってやるんだ!と意気込んでもいた。でも、そこまで、蝶よ花よと育てられた私にとって、名前を呼ばれるタイミングが10回から7回になっただけでも、死ぬほど悲しかったのだ。
それはもはや絶望と言っても過言ではなかった。
「あんなにも私をちやほやしていたのに、赤ちゃんが一人増えただけで、こんなに待遇を変えるなんて!」
大人たちに失望すると同時に、どうしたら失墜した地位を回復できるのかと一生懸命になって考えていた。
しかし、ただ存在するだけで愛されていた私には、どうしたら良いのか分からなかった。だって、ニコニコしてれば「かわいいかわいい」と言われ、ちょこっと抱きつけば撫でてもらえるのだ。煩わしいほどに私を見つめる大人たちが居て、いつだって誰もが私を褒めてくれた。「良い子」でいるだけでよかった時代の終わりが、私の「天然の」天真爛漫の終わりだった。
2.世界でただ一人の「私だけの」神さま
空前のベビー熱に浮かされた大人に、私の世界は木っ端微塵に蹂躙された。「ちょっと待ってね」と言われる機会が生まれ、一人ぼっちで居ても気づいてもらえない時間が増え、「しっかりもののお姉ちゃん」の役をしなければ褒めてもらえなくなった。
そんな中で、たった一人だけ決して変わらぬ「揺るぎない愛」を注いでくれる人がいた。神さまのように、どんな私でも愛してくれると確信できる人。それが、祖父だった。
私が一人で居るのを見つけて散歩に誘ってくれる祖父。
こっそりソフトクリームを食べに連れて行ってくれる祖父。
私の下手くそな歌をニコニコ聞いてくれる祖父。
いろんな物語を話してくれる祖父。
一緒にお昼寝をしてくれる祖父。
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私の世界の全ては、祖父によって輝いていた。
手中の玉のごとく愛され慈しまれていた。そして私も、全力の信頼と尊敬をもって返していた。どんな狡猾な魔の手も、どんな清らかな天の使いも、祖父と私の間に割り込むことはできない。弟が成長して大人たちのベビー熱が引いても、彼らが私へ向ける興味関心が復活しても、もはやどうでもよかった。
しかし、私たちの蜜月はほどなく終焉を迎える。私たちの敵は時間だった。避けられぬ成長と老化が一緒にいられる日々を奪っていくのを、私はただ呆然と見送り、密かに恐怖したまま立ちすくんでいた。
3.「恐怖」に立ち向かえないこと
小学生になった私が祖父に会えるのは、長期休暇のときだけになっていた。学校に塾に友達に初恋に・・・、日々を忙しく過ごしていた私にとっては、長期休暇の度に会えるなら十分だと思っていた。けれど、祖父にとっては果たしてどうだったのか・・・。それを考えると、切なくてどうしようもなくなる。
大人になるのは、時に酷く苦しいものだ。
小学生時代に戻ろう。
いつからか、祖父は寝ている時間が多くなり、座っている時間が信じられないほど短くなった。私は、深く考えなかった。気づいていたけれど、見ないふりをしたと言っていい。前ほど多く物語をねだらなくなり、一緒にお昼寝をすることもなくなった。けど、相変わらず私は祖父が大好きで、祖父だって私を一等愛してくれていた。それは確信していた。
確信していたからこそ、その愛に胡座をかいていたのだ。
私は人が死ぬことを知っていたが、本当の意味で解ってはいなかった。
祖父が入院した日、私が感じたのは「恐怖」だった。私の神さまが消えてしまうかもしれないことに、恐れおののいた。そして逃げ出した。お見舞いに言ったのは数えられるほどしかない。大好きだと言いながら、失われゆく事実を直視できなかった。
私が言い訳をしながら「死にゆく神さま」から目をそらしている間に、祖父は死んだ。夏の盛り、花火の美しい夜だった。
「おじいちゃんが、なくなったって」
その一言は、叔母からもたらされた。
「帰ってくるのは遅くなるって。だから子供たちは、先に寝ていなさい」
ほかの誰かがそう言って、私は親戚の子供たちが集められた部屋に入れられた。安らかな寝息に囲まれても、私はちっとも穏やかになれなかった。指先が冷え、心拍数が上がり、呼吸がうまくできなかった。「帰ってくる?おじいちゃんが帰ってくるなら、迎えに行かなきゃ」と、そう思って布団の上にうずくまっていたけれど、「死人」を迎える気持ちになんてなれなかった。
というより、祖父=死人という意識が無かったのだと思う。私はきっと、退院した祖父を迎えに行きたい一心だった。
早く会いたい気持ち、罪悪感、悲しみ、愛おしさ、怒り、寂しさ。
その全てを抱えたまま、息を殺して障子の向こう側を伺っていた。現実的な問題に立ち向かう大人たちが、せわしなく動いている。すすり泣く声もするし、キビキビとした指示の声もしていた。誰も彼もが、自分の役割に没頭していた。
長い時間、息を殺していたように思う。かくれんぼをした時に、押入れの中に隠れたときのような、息苦しい時間が過ぎていく。
そして、遠くから車が乗り入れる音がした。
私は弾丸のように飛び出して、大人をすり抜け、裸足のまま玄関を飛び出し、ストレッチャーに乗せられた祖父を出迎えた。月明かりに輝く白い布、車から漏れるオレンジ色の光、赤いテールランプ、目を腫らした母、険しい顔の父、毅然とした表情の祖母、銀色のストレッチャー、そして浮腫んで黄味を帯びた祖父の顔。
「おかえりなさい」と言えたと思うけれど、定かではない。私は号泣し、酸欠になり、朦朧としたまま眠りについた。そして朝になって、白い着物姿の祖父と改めて対面し、どうしていいのか分からないほど心乱れたまま、葬儀に参加した。
あのとき私は、どんなに泣いても涙は枯れないことを知らなかった。
恐怖に恐怖して動けない弱さが、取り返しのつかない結果をもたらすことも。