ミソジになったので、

淑女を目指して三千里。

ミソジになったので、人生を振り返ることにした(小中高時代)

こんばんは。ミルコです。

 

私たちは苦もなく夢と現実の境界が確かなことを信じることができる。それはなぜなのだろう。

 

夢が脳の情報整理を担っているのだとすれば、高度に再現された「過去」を夢で見ることは、ほとんど現実を再体験することと同じなのではないか?

(・・・なんて暴論、笑っちゃうわよね。)

 

過去は変えられない、例え夢の中でも。

 

1.人間初心者に小学校はキツすぎる

夢の中で体験した小学生は、かなりハードだった。悪意なき世界の住人として暮らした6年間の常識が、何度打ち壊されたことだろう。人間は人間を貶めたり、傷つけたり、踏みつけにしたりしても笑えるのだという事実を、私は小学校で体験しながら学んでいくことになった。

 

初恋を滅殺された苦い思い出

外見コンプレックスのトラウマ化

習い事へのストレス

常に比べられ相対的に評価されることへの苦しみ

扱いやすいからといって押し付けられる雑務の山

嫌われたくないという臆病な心が起こす、無様な行動エトセトラ

 

細かく書くのは避けるが、とにかく小学校生活は私にとって苦行でしかなかった。もちろん、仲のいい友達は居たし、クラスの中では優等生的お姉さん役として信頼を得ていた。いじめられては居なかったし、成績だって悪くなかった。

でも、いつだって苦しくて逃げ出したかった。

 

小学生の私が逃げ込んだ先は、中学受験の世界だった。特徴的なデザインのバッグで有名な某進学塾に通い、成績が良ければどんな罵詈雑言も封殺できる世界で、同じ目標を掲げる仲間と切磋琢磨するのは楽しかった。点数は明確だしシンプルだ。足の速さも、可愛らしさも、喋り方も、持ってるものも、なにもかもが関係ない。ただ勉強さえすれば(成績さえ良ければ)、仲間として受け入れられていた。

それは、あらゆる場面で評価される小学校よりもずっと生きやすい場所だった。

 

不思議なことに、塾に通い出してからは小学校に通うのも苦ではなくなってきていた。煩わしいと思いながら委員会に精を出し、クラスメイトとの交流もしていた。

今になって思えば、塾に通うことで成績が底上げされていたことも、この平穏の重要な要素の1つだったのだと思う。たった1つでも自信があることがあれば、人は他人を恐れずにいられるのかもしれない。

 

中学受験を目指す仲間と共に、小学校4年生~6年生までの2年半を過ごし、私は「第一志望ではない」都内の歴史ある女子高に入学することとなった。

 

粗暴な男子と別れ、塾の友達のような子たちと一緒に、バラ色の学生生活を過ごせると期待に胸をふくらませていた。

 

 

しかし、現実は無情である。

 

 

2.複雑怪奇なパワーバランスに振り回される中学校

中小企業の社長令嬢が多いと言われる我が母校は、自尊心の高い愛された少女たちの巣窟だった。私はそこそこ恵まれた一般家庭の娘だったので、ちょっとクラス感の違う少女たちが水面下で行っている主導権争いにはノータッチでいられた。・・・最初のうちは。

 

慣れないセーラー服、人で混み合う電車通学、細かな学校のルールや広い校内の暗記・・・。女子校生活を初めたころは、ただ日々の生活に慣れるのに精一杯で、その他のことを気にしている余裕はまったくなかった。

しかし、余裕が生まれれば視野も広がる。

私は視線を自分からクラスに向け、やっとここが小学校と何ら変わり無い場所なのだということを知るに至った。むしろ、本音と建前を上手に駆使できるようになりつつあるという点で、小学校よりも厄介である。

 

私は恙無く仲良しグループの形成に成功し、そのままのほほんと学園生活を送ることとなった。外野ではいろいろな問題が起こり、瞬く間に解決していった。ドロドロとした内部抗争はノータッチに限る。それを学んだのは、痛手を負った後だったが、まあ、お概ね問題はなかった。

 

中学2年生の秋、「私とあの子、どっちにつくの!?」と迫られる時までは。

 

正直なところ、私は八方美人である。自分のこと以外はどうでも良いくせに、誰にも嫌われたくなくて、常に正解を出したいと思ってしまう。小心者で小賢しい。人に嫌われる要素満点の人間だ。その片鱗は、小学校のころからチラ見えしていたのだが、まあ、今は置いておく。

 

閑話休題

 

当時、私は4人グループに属していた。運動が得意で活発なA子、料理好きで大人しいB子、絵が得意で美人のC子、穏やかで読書好きの私、だ。

 

「ね、ミルコ。あの子、最近ちょっとヤな感じじゃない?」

 

そんなA子の言葉で始まった悪口のジャブは、日毎に過激さを増して私に同意を求めた。A子がムカつくと言っていたのは、同じグループに属するC子のことだ。C子はちょっと高圧的なところのある子で、自分のご機嫌を取ってくれる人がいないと不機嫌になるタイプだった。公平を期すために付け加えるが、C子の性格は悪くない。ただ、人より手間が掛かるだけだ。

私は別に気にならなかったが、A子にとってはC子の傍若無人(とA子は思っている)が我慢ならなかったらしい。A子は既に、同じグループだったB子にも同じ訴えをしており、B子も同意していたと言っていた。つまり、こっち側に付けば多数派になれるぞ、という同盟申し込みである。

 

同じ時期、C子からも「最近、A子が私の悪口を言ってるの。ひどいよね(ぐすん」という話を聞いていた。彼女は打たれ弱さを前面に出しつつ「ミルコは私を一人にしないよね?」という無言の圧力を発していた。

 

私は4人中2人がC子の敵に回るなら、自分はパワーバランスを取ってC子に付かなくてはならないのではないか?と愚考した。そして、そうすべく行動した。

 

結果、グループは私をはじき出して纏まった。

 

「それは狡くないか?」と思ったが、時すでに遅し。私は流浪の一匹狼になるしかなかったのである。

 

 

3.クラスが変われば人間関係もリセットされる

中学1年生にして女の園の洗礼を受けた私は、あの衝撃的な裏切りを引きずったりはしなかった。情勢は日々変わるものだと学んだのだ。驕れる者は久しからず、ただ春の夜の夢の如し、である。

 

入学して3年間、クラスが変わるたびに仲良しグループデビューをしては、つまはじきにされた。なんでも分かり合える仲良しグループに憧れる気持ちはずっとあったが、所属する女の子全員の気持ちを推理して合わせていくことができないのだから仕方ない。3回~5回くらい失敗して、やっと自分には向いていないのだと理解した。

 

中高一貫である我が母校において、高校生になることは特別なことではない。毎年のクラス替えの延長である。

そのことを踏まえて、高校生になった私は根本的な考え方を変えることにした。

グループに属さなくても、村八分にされないキャラを目指したのだ。悪口は言わない、静かで穏やか、人の話をよく聞き、公平だけど冷徹ではない、そんな特別好きになってもらうことはないけど嫌われることもない「安全な人間」になることにしたのだ。

 

結論を言えば、この目論見は成功した。薄い膜で隔てられた仲良しグループ同士の橋渡しや調停をする役として、永世中立的立場を手に入れたのである。これはかなり心が楽になるポジションだった。適度に必要とされ、都合よく使われ、誰にも捨てられない場所。

 

傷つきながらも目指す場所にたどり着いた私は、張り詰めた糸が緩むような安堵とともに、猛烈な悲しみに襲われた。私は友達を作ることができない人間なのだと、自分で証明してしまったように思ったからだった。

 

まぁ、しかし、その悲しみは杞憂だった。

高校2年のクラス替えで、私はその後10年以上も付き合い続ける女友達を得ることになったのだから。

彼女たちは、穏やかで誠実で、心の底から素晴らしい人たちである。もしも、彼女たちに仇なすものがあるなら、全身全霊をかけてたたきつぶす所存である。

 

閑話休題

 

高校はあらゆるエネルギーに満たされた閉鎖空間である。私のように渦に巻かれてボロボロになる人もいれば、良いエネルギーに乗っかって無敵の友情と輝く思い出を手に入れる人もいる。

 

夢の中で追体験しながら、「それを言ったらダメ」「その子は私を裏切るよ」「媚びたって友情を恵んではもらえないんだってば」と何度も自分に助言したくなった。

 

不滅の友情と信じたものが呆気なく崩壊して、仮病を駆使して家に逃げ帰った日

嘘をついた子の味方をしたがために信用を失った日

お揃いが羨ましくてこっそり持っていたブランドポーチを槍玉にあげられた日

つい知ったかぶりをして自己嫌悪に陥った日

修学旅行のグループ決めで余りものにされた日

先生が勝手に決めた体育のグループ発表で失敗した日

 

 楽しいことだってたくさんあったけれど、苦しい日々の痛みのほうが鮮烈だ。遠い過去の失敗を二度と繰り返さないと信じられても、あの痛みを抱えた学生時代の私が生きている限り、乗り越えることはできない。

 

だから、せめて、あの時の自分ごと愛せるようになりたいと藻掻くのだ。