ミソジになったので、

淑女を目指して三千里。

ミソジになったので、人生を振り返ることにした(浪人~大学時代)

こんばんは。ミルコです。

 

もしも、タイムリープして2度目の人生を歩むことが叶うなら、どんな人生をお望みかしら?

 

後悔があれば正したいと思うだろうし、今が最高なら間違わず”ここ”にたどり着きたいと願うのでしょう。私だって、再チャレンジできるなら訂正したいことや、やっておきたいことが山ほどある。

 

だけど同時に思うのだ。

 

タイムリープしたとして、本当に今とは違う人生にできる?」

 

1.正直舐めていた大学受験からの浪人生活

私は、大学受験のための勉強なんて殆どしたことがない。センター入試の対策はいくつか講座を受けたけど、講座の時間を乗り切る以外のモチベーションが上がらず、勉強の効率は最低値を下回っていた。

こういう根拠不明の漠然とした「なんとかなる」思考は、この頃から始まったのだ。人これを「思考停止」と呼ぶ。

 

高校の卒業式を終えて、私は肩書きをなくした。

花の女子高生時代は終わり、荒んだ予備校生活が始まったのだ。

 

勉強自体は嫌いじゃなかった。知らないことを学ぶのは楽しいし、やればできると示すのも好きだった。

ただ、男子生徒と同じ教室で授業を受けることそのものが憂鬱だった。しかも、人間関係はリセットされ、新たに教室内の人間関係を構築しなければならない。そもそも、中高6年間を通して、友達づくり初級かろうじて及第レベルの私である。知らない人に話しかけるのも怖いし、話しかけられるのも、視線を向けられるのも怖かった。

もはや妄想とも言うべき対人ストレスに耐えられず、授業をサボったこともある。両親には本当に申し訳ない。当時の私も、自分が恥ずかしくて仕方なかった。

 

そんな中、奇跡的に友人になったのが少し年上のまったりした女の子だった。彼女は医学部を目指していると言っていたが、お金持ちの両親が猛プッシュするからやっているというスタンスで、やる気もなければ覇気もない。殺気立っている他の生徒とは違うダウナーな雰囲気が妙に心地よくて、私は彼女と過ごすようになっていた。

 

予備校の近くの喫茶店で勉強しつつおしゃべりしたり、サボったりサボらなかったりしながら過ごす日常。何を目指して生きているのか、受験する大学選びにも情熱を向けられず、ダラダラと日々を過ごしていた。

 

しかし、時間は刻々と迫る。

 

2度目の大学受験で、私は無謀な学校1校と安牌1校を受けることにした。どちらも心理学部で、ネームバリューというよりは環境と教授で選択した。家から無理なく通える範囲にあって、面白い教授が授業をしている場所。そして、女の子が多い環境。

 

私は予備校での共学生活に疲れて、またしても女子校に通うことを選んだのだ。

臆病者と笑うが良い。

 

 

2.やっぱり女子大学は居心地が良い

怠惰な浪人生活を終えた先にあったのは、懐かしい女子校生活だった。

 

またしてもグループ衝突に怯える日々が始まるかもしれないと身構えていたが、拍子抜けするぐらい平和だった。大学生は学部によってフィルタリングが行われる上に、もう精神的に大人なわけだから当然といえば当然である。

 

私はとにかく授業を受けまくった。限界まで時間割を詰め、興味のあることは全て受ける勢いで選択した。外国語や法律、フランス文学、科学、考古学に統計学・・・。なにもかもが目新しく、なにもかもが楽しかった。

ハウスルールとしてバイトが禁止されていたこともあり、私はひたすら勉強した。今思えば、資格の勉強をしたり、語学を極めたりすれば良かったのにと思うが、まあ、未来を見通すことができない阿呆のすることなどそんなものである。

 

浮かれた私を調子付ける出来事のひとつに、恋人の存在がある。インテリメガネの背の高い男で、私より5歳年上だった。彼は私の人生におけるダークサイドの先生だ。固定観念を排除して選択肢を広げる方法は、だいたい彼から教わった。人生の師であり、愛しい元恋人であり、今は遠き心の友である彼について話すと、とてつもなく長くなるので、また別の機会にしようと思う。

 

大学生になって、彼氏ができて、まるで普通の女の子のように人生を謳歌していた私を追体験して思うのは、自分がとても刹那的な人間だということだ。1年先くらいは考えるけど、5年10年先のことなど考えない愚かな女。それは、大学を卒業してもそう変わらなかった私の欠点だ。

 

大学は楽しかった。

親しい友人もできた。

でも、それだけだ。